「死の縁無量なり」親鸞聖人の言葉から
2020年03月07日

親鸞聖人の孫で本願寺第三世を継いだ覚如上人が、親鸞聖人
の言葉を解釈してこう言っています。
「死の縁無量なり。病に冒されて死する者あり。剣に当たりて死
する者あり。水に溺れて死する者あり。火に焼けて死する者あり。
乃至寝死する者あり。酒狂して死する者あり。」
ひとりの父、ひとりの母が、命かけて最期に残してくれた言葉は
何か。逝く者が、残る者に身をもって伝えるものは、「死ぬんだよ
おまえさんも」の一言ではないだろうか。生きているということは
死ぬ命を抱えているということだ。生きている者は、必ず一度は
死なねばならない。しかもいつお迎えが来るかわからない。
お迎えは、予告なしにやってくる。いつお迎えが来てもいいように
生きるにはどうしたらよいか。自分がお迎えに来られてからでは
間に合わない。生きている今、「どう生きるべきか」を真剣に考え
自分の生き様に反映させることではないか。