今年初めての写経は
2011年12月31日
1月8日(日)8時30分から蔵泉院本堂にて行います。筆ペンでも結構です。
初めに般若心経を一緒によんで、それから写経です。初心者は、写経用紙に
般若心経が薄く書かれていますのでその上を筆でなぞっていきます。
慣れてきましたら、白紙の写経用紙を使用します。
45分程度で写経が終わります。その後四弘誓願文を一緒に唱えて写経が終わります。
片付けをしてお茶とお菓子をいただいてすべて終わりです。
だれでも参加できますのでお寺へお越しください。参加費は500円です。
初めに般若心経を一緒によんで、それから写経です。初心者は、写経用紙に
般若心経が薄く書かれていますのでその上を筆でなぞっていきます。
慣れてきましたら、白紙の写経用紙を使用します。
45分程度で写経が終わります。その後四弘誓願文を一緒に唱えて写経が終わります。
片付けをしてお茶とお菓子をいただいてすべて終わりです。
だれでも参加できますのでお寺へお越しください。参加費は500円です。
無事が一番
2011年12月30日
今年もあと1日になりました。今年は災害の多い大変な1年でした。
東北の大震災は、テレビで繰り返し放送されますが、何度見てもぞっと
します。人間の力の無力さを痛感した震災でした。
今年ほど無事で1年過ごすことができたありがたさを感じた年はありません。
無事という言葉は禅語から出た言葉です。禅語の無事については、後日
墨蹟の話でお話しします。
東北の大震災は、テレビで繰り返し放送されますが、何度見てもぞっと
します。人間の力の無力さを痛感した震災でした。
今年ほど無事で1年過ごすことができたありがたさを感じた年はありません。
無事という言葉は禅語から出た言葉です。禅語の無事については、後日
墨蹟の話でお話しします。
ご挨拶
2011年12月28日
本日、ホームページとブログを公開致しました。
ご訪問頂き、ありがとうございます。
このホームページとブログを通じ、少しでも多くの方に
当蔵泉院を知って頂ければと思います。
さて、蔵泉院とは。昭和三十年代初めまでお寺のまわりには
わき水が多くでていまして、一番水量の多いわき水を清水川
とよんで、近くの主婦は、食器を洗ったり野菜を洗ったりし
ていて、そこは主婦の社交場のような場所でした。
そんな水の豊富な場所ということで泉の蔵、蔵泉院と名付け
られたのでしょう。
これからよろしくお願い致します。
ご訪問頂き、ありがとうございます。
このホームページとブログを通じ、少しでも多くの方に
当蔵泉院を知って頂ければと思います。
さて、蔵泉院とは。昭和三十年代初めまでお寺のまわりには
わき水が多くでていまして、一番水量の多いわき水を清水川
とよんで、近くの主婦は、食器を洗ったり野菜を洗ったりし
ていて、そこは主婦の社交場のような場所でした。
そんな水の豊富な場所ということで泉の蔵、蔵泉院と名付け
られたのでしょう。
これからよろしくお願い致します。
タグ :ご挨拶
正覚No.115
2011年12月21日
沖縄にて思う
11月30日から12月2日まで、沖縄に行ってきました。昨年10月方広寺で喜納昌吉コンサートを開きました。喜納さんにそのお礼を言いたいと思っていたところ、準檀家の鈴木昭典氏が沖縄旅行の計画をしてくださることになり、鈴木さん一家に私たち夫婦が便乗することになりました。
鈴木氏の奥さんは、私の高校時代の同級生の妹にあたり、その娘さんは、蔵泉院でのヨガの先生という関係です。
また、お寺のホームページを作成して頂いている会社シーポイントの顧問を鈴木さんがしていまして、いくつもの縁が重なって沖縄旅行が決まりました。
シーポイントの会社員の長堂さんが沖縄での案内人を務めてくださり、私と家内は鈴木さんにおまかせのありがたい旅行でした。
沖縄の平和祈念堂にてみんなで般若心経をあげ、ひめゆりの塔の前でも般若心経をよみました。修学旅行の高校生たちが大勢きていましたが、その中でお経をあげていますと、学生さんも静かにお経の終わるのを待っていてくれました。あの第二次大戦での沖縄戦は、大変悲惨な戦いでありました。多くの女性や子供たちが犠牲になったわけです。その戦跡に行きますと、基地問題で沖縄の人がいかに苦しんでいるかつくづく感じます。
二日目の夜、偶然コザ市で喜納昌吉さん、知名定男さん、照屋林賢さんの三人のコンサートがあり、運良くみれることができました。この三人の顔合わせはまず見られないとの話で、客席は超満員でした。コンサート終了後、特別、楽屋に通して頂いて、喜納昌吉さんに昨年のお礼を言うことができました。
おかげさまで大変楽しい旅行ができ、鈴木さんには感謝申し上げます。四年間の方広寺で、お世話になった人たちにお礼をいうことができ、ありがたく思っています。
11月30日から12月2日まで、沖縄に行ってきました。昨年10月方広寺で喜納昌吉コンサートを開きました。喜納さんにそのお礼を言いたいと思っていたところ、準檀家の鈴木昭典氏が沖縄旅行の計画をしてくださることになり、鈴木さん一家に私たち夫婦が便乗することになりました。
鈴木氏の奥さんは、私の高校時代の同級生の妹にあたり、その娘さんは、蔵泉院でのヨガの先生という関係です。
また、お寺のホームページを作成して頂いている会社シーポイントの顧問を鈴木さんがしていまして、いくつもの縁が重なって沖縄旅行が決まりました。
シーポイントの会社員の長堂さんが沖縄での案内人を務めてくださり、私と家内は鈴木さんにおまかせのありがたい旅行でした。
沖縄の平和祈念堂にてみんなで般若心経をあげ、ひめゆりの塔の前でも般若心経をよみました。修学旅行の高校生たちが大勢きていましたが、その中でお経をあげていますと、学生さんも静かにお経の終わるのを待っていてくれました。あの第二次大戦での沖縄戦は、大変悲惨な戦いでありました。多くの女性や子供たちが犠牲になったわけです。その戦跡に行きますと、基地問題で沖縄の人がいかに苦しんでいるかつくづく感じます。
二日目の夜、偶然コザ市で喜納昌吉さん、知名定男さん、照屋林賢さんの三人のコンサートがあり、運良くみれることができました。この三人の顔合わせはまず見られないとの話で、客席は超満員でした。コンサート終了後、特別、楽屋に通して頂いて、喜納昌吉さんに昨年のお礼を言うことができました。
おかげさまで大変楽しい旅行ができ、鈴木さんには感謝申し上げます。四年間の方広寺で、お世話になった人たちにお礼をいうことができ、ありがたく思っています。