今月の床の間には、方広寺派管長でありました足利紫山老師の墨跡を掛けました。
2022年09月14日
今月の床の間には、方広寺派管長でありました
足利紫山老師の墨跡を掛けました。
月白く風清しです。月が明るく照らし、風が
さわやかに吹き抜ける。心に一点の曇りも
ない境地です。
蘇東坡の「後赤壁賦」の一節です。
今月の床の間んいは、妙興寺の故狭間宗義老師の墨蹟を掛けました。
2022年08月03日
今月の床の間には、一宮妙興寺の前住職狭間宗義老師の
墨跡を掛けました。老師の室号は無位室といいます。
閑坐して松風を聴くと読みます。静かな場所を選んで坐を
組み、松の枝を吹き抜ける風の音を独り静かに聞いて
心を静めている。
今月の床の間には、中川球童老師の墨蹟を掛けました。
2022年05月02日
今月の床の間には、三島竜沢僧堂の中川球童老師の
墨跡を掛けました。球童老師は、中川宗淵老師の法嗣
になります。
独座大雄峰です。この句は、碧巌録第26則にあります。
あるとき、一人の僧が、百丈懐海禅師に「如何なるか
是れ奇特の事」と尋ねましたところ、百丈懐海禅師は
「独座大雄峰」と答えました。
「奇特」とは、優れている、すばらしい、尊い、ありがたい
というような意味です。
百丈懐海禅師が今、この大雄峰で独り座っていること
これ以上の奇特なことはないということです。
威風堂々、絶対境の境涯です。
聚光院書院にかかっていました前住職小野澤寛海師の墨跡です。
2022年03月05日
聚光院前住職小野澤寛海師の墨跡です。「火裏酌清泉」
火裏に清泉を酌むとよみます。
火中から清らかな水を汲み出す、常識、分別を超えた
自在のはたらきといいます。が、絶対無の境地を
味わっていない者には難しい言葉です。
聚光院書院の床の間には小野澤寛海師の墨跡が掛けてありました。
2021年12月24日
聚光院の書院の床の間です。千住博さんの滝の絵が
見事です。小野澤寛海師の墨跡が掛けてありました。
「火裏酌清泉」 火裏に清泉をくむと読みます。
火の中から清泉の水を汲みだす。
今月の床の間には、方広寺派前管長大井際断老師の墨跡を掛けました。
2021年11月03日
今月の床の間には、方広寺派前管長大井際断老師の
墨跡を掛けました。「無賓主」です。
「無賓主(むひんじゅ)」とよみます。賓とは、客の意味で
す。主人と客との関係を超越し、両者の関係が対等に
なること。主人は師であり、客は弟子のことをいいます。
今月の床の間には、建仁寺派前管長竹田益州老師の墨跡を掛けました。
2021年09月13日
今月の床の間には、建仁寺派前管長の竹田益州老師の
墨跡を掛けました。「三級浪髙うして魚龍と化す」です。
三級とは、昔中国の舜時代に堯という皇帝がおりました。
皇帝は、何とかして黄河の氾濫をしずめたいと思い、禹と
いう男に命令しました。禹は、命令をうけて、黄河の上流に
ある龍門山を、十三年かかって三段階にけずり、黄河の
流れをそこに導きました。それ以来黄河は氾濫することが
なく、その滝のことを龍門三級の滝と呼ぶようになったの
です。そして、毎年旧暦三月三日の頃になると、魚たちが
黄河をさかのぼって龍門の滝壺に集まってきます。
先を競って三級の滝を登ろうとします。その魚たちの中で
ひときわ大きな魚が、すごい勢いで登らんとします。
そして、その勢いで魚は、頭に角をはやし、雲を起こし
雨をよんで龍となって天に昇っていったというのです。
登竜門の語源になっています。
今月の床の間には、龍澤僧堂後藤栄山老師の墨跡を掛けました。
2021年08月20日
今月の床の間には、龍澤僧堂老師後藤栄山老師の
墨跡を掛けました。
今息子がお世話になっている僧堂の老師さんです。
息子も僧堂に掛塔して4年目を迎えました。コロナ
ウィルスの影響で僧堂も大変ですが、一番上の
立場で頑張っています。特に、老師がお年で毎年
夏バテしますので、それが心配です。
今月の床の間には、大徳寺派管長高田明浦老師の墨跡を掛けました。
2021年06月02日
今月の床の間に大徳寺派管長高田明浦老師の墨跡を
かけました。
栴檀葉葉香風香(かんば)しとよみます。栴檀の木は
香りがよく、風がその香りを運んでくれます。
涼を求める人には香風(清風)を与えることができる
人が、禅の求める人間像であります。
今月の床の間は、方広寺派元管長足利紫山老師の墨跡を掛けました。
2021年05月05日
今月の床の間には方広寺派元管長足利紫山老師の
墨跡「撃竹聲」を掛けました。
香厳撃竹の話として有名な話があります。香厳智閑
禅師(八九八年没)は、師匠から「借り物でない自分
の言葉を提示せよ」といわれ、どうしても答えることが
できず、今まで集めた経書を焼き払い、慧忠国師の
庵の跡に草庵を結び、竹を友として坐禅弁道に励ん
でいた。あるとき庭掃除をしていて石が竹にカチッと
当たったその響きを聞いて「豁年として大悟」し、
年来の疑団を解くことができたという。
竹の声を聞きさえすれば、誰しもが悟りを開くことが
できたら、誰も苦労はしない。同じ竹の声を聞いても
聞く耳が開いていないと、聞くことはできない。
今月の床の間は、一宮妙興寺の孤雲室老大師の墨跡を掛けました。
2021年03月06日
今月の床の間には、一宮妙興寺の孤雲室老大師の
墨跡を掛けました。
「落花随流水 明月上孤峰」から落花流水に随うと
読みます。
散った花びらが、川面に落ちて水に運ばれていき、
そびえる山に明るい月がのぼってくる。花びらは
川の流れにさからうことなく、流水も花びらをのせて
無心に流れ続ける。
12月の床の間には、龍沢寺前住職中川球童老師の墨跡を掛けました。
2020年12月19日
今月の床の間には、龍沢寺前住職の中川球童老師の
墨跡を掛けました。「山色清浄身」です。
中川球童老師は、昭和31年に龍澤僧堂に掛塔し、中川
宋淵老師から印可を受けています。昭和43年にイスラ
エルに渡って禅を教えています。13年間のイスラエル
布教の後、ニューヨークに転錫し、ブロードウェイに
ソーホー禅堂を開設しております。平成2年龍澤寺の
住職となります。
今月の床の間には、南禅寺派管長柴山全慶老師の墨跡を掛けました。
2020年10月23日
今月の床の間には南禅寺派管長でありました柴山全慶老師の
墨跡「雲深不知処」 雲深くしてところを知らず を掛けました。
唐詩に
「松下 童子に問えば 言う師は薬を採り去ると
只だこの山中に在らん 雲深くして処を知らず」とあります。
松の下に一人の童子がいます。「隠者はどこにお出かけに」
と尋ねると、「先生は薬草を採集しに行かれました。この山中に
居られることは間違いないようですが、こう雲が深くてはどの辺
だか一向にわかりません。」と答えました。
今月の床の間には「行到水窮処 坐看雲起時」を掛けました。
2020年09月20日
今月の床の間には、平元徳宗老師の墨跡
「行到水窮処 坐看雲起時」を掛けました。
唐の詩人王維の詩に「中歳より頗る道を好み、
晩に家す南山の陲、興乗って毎に独り往き、
勝事空しく自ら知る、行いては到る水窮まる処、
坐しては看る雲の起こる時、偶然林叟に値い、
談笑還期無し」とあります。
意訳しますと、
中年のころより仏道に興味を感じて、晩年になり
やっと終南山に閑居を構えることができた。
感興が湧き起こると独りででかけるが、どんな
楽しい事でも結局は空しい。
しかし、散策して水流の尽きるところを尋ね、
腰をおろして雲の湧き起こるのを眺めると
俗念が尽き、自然に没入できる。
思いがけず木こりに出会ったりすると、
談笑して時を忘れてしまう。
今月の床の間には円覚寺派管長釈宗演老師の墨跡を掛けました。
2020年08月24日
今月の墨跡は、円覚寺派管長釈宗演老師の墨跡です。
「坐水月道場 修空華萬業」 水月道場に坐して、空華の
萬行を修す。
釈宗演老師は、江戸時代末期の人で、生まれは福井県
若狭の高浜町です。建仁寺で修行した後、円覚寺の
今北洪川老師に参じて印可を受けました。明治18年
慶応大学に入学し、福沢諭吉に英語を学びました。
明治25年円覚寺派管長に就任し、多くの弟子を育て
ます。有名な仏教学者鈴木大拙氏もその一人です。
また、夏目漱石も老師に参禅し、その体験を小説「門」
な描いています。
今月の床の間には、臨済寺老師倉内松堂老師の墨跡を掛けました。
2020年06月04日
今月の床の間には、前臨済寺老師倉内松堂老師の
墨跡を掛けました。「独坐大雄峰」(どくざだいゆうほう)
と読みます。
この言葉の由来は、碧巌録という禅書に出てくる言葉
です。
僧 百丈に問う「如何なるか是れ奇特の事」
丈曰く「独坐大雄峰」。
百丈というのは、江西省南昌府の大雄山に住した懐海
和尚のことです。この百丈禅師にある僧が「この世の中で
何が一番ありがたいことですか」と質問しました。すると
百丈禅師が答えました。「独坐大雄峰」と。
百丈がこの大雄山でこうして独り坐っていることさ。
今月の床の間には、足利紫山老師百歳の墨跡を掛けました。
2020年05月08日
今月の床の間には、足利紫山老師の墨跡「竹」を
掛けました。足利紫山老師百歳の書ですが、一気に
書いた力強い字です。
竹という字から連想される禅語はいろいろあります。
松に古今の色なく 竹に上下の節あり、
竹影掃階塵不動 月潭底を穿って水に痕なし
竹密にして流水の過ぐるを妨げず
などです。
今月の床の間には、前建仁寺派管長竹田益州老師の墨跡を掛けました。
2020年04月05日
今月の床の間には、前建仁寺派管長竹田益州老師の墨跡を
掛けました。「蘭は春山を吐く古仏の心」です。
春蘭は山に自生しています。小さい花で蘭の存在は見えない
のですが、その花のいい匂いが匂ってきて、ああここに咲いて
いるんだとわかるのです。
今月の床の間には、前妙心寺派管長春見文勝老師の墨跡を掛けました。
2020年03月02日
今月の床の間には、前妙心寺派管長春見文勝老師の墨跡を
掛けました。雲水が托鉢をしている絵です。
「一鉢千家飯 歩々是道場」です。鉢は、雲水が食を請うために
用いる入れ物です。一椀の鉢の中を数え切れない人々から
施された飯で満たしながら、ただ一人諸方を行脚し修行に
励むという意味です。
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