椿を見て、感じてのエッセイ。

2021年01月27日




椿は、広く海岸地帯に自生し、古くから万葉集にも


詠まれている。また、庭造りや茶の湯にも好んで


鑑賞されてきたにもかかわらず、「首が落ちる」と


忌み嫌う人もいる。


何度かスケッチしていると、あの幹から可憐な花


が咲く不思議さに、自然の偉大さを感じずには


いられない。今まさに満開の花が、物静かに大地


に散っていく有様をかいま見ると、生きることの


意味を教えられる思いがする。


自然の営みといえばそれまでだが、まだまだ咲く


余力を持ちながら、幹を弱らせないために自ら散る。


自然の厳しさを人間の都合で勝手に決めつけていい


のだろうかと、自戒させられる思いである。


南 正文(画家)のエッセイから。


タグ :椿南 正文

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